【追悼】日本であまりにも有名になった建築家ザハ・ハディド氏、死去
本日3月31日、ロンドンを拠点に活躍する建築家ザハ・ハディド(Zaha Hadid)がマイアミの病院で心臓発作のため亡くなった。
Zaha Hadid Architectsのホームページにその訃報が掲載されている。建築を学ぶ者としてこの偉大な建築家の突然の死を非常に残念に思う。建築家は生涯作れるモノの数が、他のクリエイティブの分野と比べて極めて少ないため実績を積むのに時間のかかる職業である。それを考えると65歳は建築家にとって脂の乗った時期であり、トップアーキテクトとしてはあまりにも若すぎる死である。
これまで日本であまり知られていない建築家を記事にしてきたが、今回は「日本で有名な建築家」としてこれまで僕が見てきた建築とともに紹介したいと思う。
Contents
ザハ・ハディド
ザハ・ハディドはイラン、バグダッド1950年生まれ。ロンドンの有名な建築学校AAスクール出身の建築家で、女性で初めて建築家のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した建築家である。近年のオリンピックの問題によって日本ではあまりにも有名になったが、元々世界でも数少ないトップアーキテクトの一人である。日本だけではなく世界各国で、国際コンペの最優秀賞に選ばれるがその特殊な形から技術的、経済的理由により建てられなかったプロジェクトも数多く存在し、「アンビルトの女王」とも呼ばれている。
※アンビルトはプロジェクトが建たなかったことを意味する
これまで旅で見てきたザハの建築
シャネルモバイルアートパビリオン in Paris
日本/東京を含む世界各国
日本初のザハ建築として注目された。
シュピッテラウ集合住宅
オーストリア/ウィーン
ベネチアビエンナーレ2012
イタリア/ベネチア
ウィトラキャンパス内ファイヤーステーション
ドイツ/ヴェイル・アム・ライン 1993
ロンドンオリンピック水泳センター アクアティクス
イギリス/ロンドン
オリンピックの水泳競技のために建てられた競技場。オリンピック開催時のみ仮設の客席を増やすことで、コストを削減。日本での新国立競技場は破棄となってしまったが、すでに2012年のオリンピックで競技場を造っていたことはあまり知られていないだろう。
まとめ
ザハの建築は非常に特殊な形状の彫刻に近い建築のため、同業の建築家にも毛嫌いされることが多い。実際に日本でのオリンピックスタジアムは構造の問題が指摘されたわけだが、その単純に形に対しての好き嫌いが関係してなかったとは言えないだろう。あの時オリンピックスタジアムの建設を反対した日本の建築家たちがこれを受けてどのように考えているのか知りたいところである。